幼い頃の体験が大人になってもずっと心に引っ掛かっていることってありませんか。
トラウマとまでは言えないまでも、私には今でも心に残る思い出があります。
それは私が小学生のころ、遠足と写生会を兼ねた課外授業の時でした。
行き先はひらかたパーク(ひらかたパークは、大阪の郊外にあって、当時は菊人形で有名な遊園地です)。
その頃から勉強よりも絵を描く方が好きだった私は、胸がワクワク喜び勇んで出かけました。
遊園地に着くとさっそく何処を描こうか、何を描こうかと、友だちと場所探しに走り回ります。
丁度その年の菊人形のテーマが「孫悟空」でした、館の中には孫悟空の物語りの名場面を、等身大の菊人形で展示してあったんでしょう。
私達生徒は館には入れなかったのですが、その館の(今で言うパビリオンかなぁ)正面で切り妻の大屋根の下に巨大な孫悟空が、しかも雲に乗ってさっそうと空を飛んでいる姿で取り付けてあるのを見つけました。
小学生の私達の目にはすごい迫力に写ったんです、これだぁ!一発で気に入りこれを描くことに決めました。
大屋根と孫悟空、全体がきれいに見える絶好の場所に陣取り、画板を広げ友だちと一緒描きはじめました。
先生の教えどうり画用紙の隅々まで色をつけ、自分なりに細かなところまで忠実に、どれくらい時間をかけたかは忘れましたが、夢中になって描いていました。
やがて周りから「できた!」「できた!」の歓声があがりはじめた頃、私の絵も完成に近付いていました、大屋根と孫悟空、如意棒やきんとん雲、衣装に着けられた菊の花、孫悟空の顔、それぞれ丁寧に描けました。
我ながらなかなかの力作で、少し鼻高々になっていたのかも知れません。
できあがった絵を友だちどうし互いに見せあいながらはしゃいでいた時、一枚の絵を見てハッ!としました。
それは以前から仲良くしていた親友の描いた絵で、画用紙一杯に孫悟空の顔だけが描いてあったんです。
うぁースゴイ迫力、一瞬その絵に魅せられてしまいました。
自分の描いた絵は見たまま見えたまま、彼の絵もまた見たまま見えたまま、同じ所から同じように描きましたが、視点が違っていたんです。
もう一度ふり返って大屋根の孫悟空を見てみると、彼の孫悟空が私にも見えたような気がします。
その後、彼とは親友として永年つきあいましたが、40歳と言う若さで病に倒れ他界してしまいました。
あの時の無念さ、悔しさは忘れることができません。
今でも仕事や日常の中で考えに行き詰まったり迷ったりした時などに、ふと彼の孫悟空が脳裏をよぎる時があります。
あっ、そうかこうでなくていいんだ、一つの考えに捕われず視点をかえてみる、発想の転換。
今思うとあの時の孫悟空がそのことに気付かせてくれた瞬間だったのかなと思っています。
残念ながら発想を転換する術はまだ獲得できていませんが、ま、気付いただけでも良しとしますか。
このコラムは以前看板ナビに掲載されたものです。
ウィンドディスプレイに使う小さなお人形を作りました。
身長30センチ、いろんなポーズで大勢並べます、可愛いですね。
製作前のサンプル試作のときの話です。
発泡スチロールで形を作り表面処理、サンドペーパーで丁寧に磨いてパテも打ち滑らかな肌に仕上げたあと、いよいよ樹脂コーティング。
いつもの様に、促進剤と硬化剤を計量して樹脂に添加後撹拌、表面に均一に注意深く吹き付け塗装。
なかなかきれいに塗れました、この季節だと通常は30分ぐらいで硬化が始まるはずでした。
そろそろ固まり始めたかなと、ふと見ると何やら怪しい泡がプツプツと現れてきました。
何だこれは?イヤな予感。
泡がだんだん広がっていくと、そのうち人形が溶けはじめてきました、ア〜っ樹脂を間違えた!
普段使う発泡スチロール用の樹脂と一般用の溶剤系の樹脂を間違えたようです。
たまたま空き缶に移し替えてあった物を、スチロール用と勘違いして使ってしまいました。
そう言えば臭いが違うと思ってた、と言っても後の祭り、可愛い人形は既にゾンビと化していました、気持ち悪いー。
発泡スチロールは溶剤に溶けることは十分承知の上でしたが、材料の管理の悪さとちょっとした気の緩みがせっかく作った人形をゾンビにしてしまいました、可哀相です今後気を付けます。
その後侵食と、硬化が進んで最期はついにお地蔵さんになりました。
石像が風化したような何ともリアルな風合いでした。
今度お地蔵さんを作る時にこの技法はつかえるかも、売れるかな。
誰かお地蔵さんは要りませんかー。
ご家庭のリビングに一つお地蔵さんは如何ですかー。
POPという言葉からどんなイメージを持ちますか、ポップな感じってどんな感じでしょう。
英語の辞書には”ポピュラー”の略語とありました、随分はば広い言葉でいろんな場面で耳にしますが、一般的には「くだけた感じ」、「親しみやすい感じ」、高級感とは対極の意味での「安っぽい感じ」というところでしょうか。
そういえば店頭のポップもくだけた感じの書体で、親しみやすいイラストなどを入れて安っぽい?色使いでまわりをにぎわしています。
そもそも広告の意味から”ポップ”といえば、「購買時点広告」と定義付けられている様です。
購買時点広告ですから、店頭で商品のすぐそばにあって消費者の購買意欲をそそり、最後の決断を促すという大切な使命を担っているわけです。
街角のパンやさんのウインドに「私達手作りの新作メロンパンが出来上がりました、美味しいですよ!ぜひ一度御賞味ください。」かわいい文字のコピーと、素人っぽい感じのメロンパンのイラスト入りのポップが貼ってあったとしたら、思わず食べたくなるのはメロンパン好きの私だけでしょうか。
もう一つ何と言ってもそそられるのが居酒屋のメニュー板、行き付けの店の冷蔵庫に掛けてあるホワイトボードに料理名がずらり。
どれもこれも油が付着して黄ばんでというより、茶ばんで読みにくい中一番下の右から3行だけいつも真っ白で、大将おすすめの日替りメニューが書いてある、「イワシの刺身」やっぱり注文してしまいます、その日イワシの刺身が食べたかったわけでもないのに、これってハメられた?。
大将が意識してそうしているのか否かはわかりませんが、確かにホワイトボードが”ポップ”の役割を果たしているのです、私はポップにやられていたんです。
次はまさに購買時点、手に取るか取らないかの勝負を分けるのがパッケージ、スーパーやコンビニで競い合い陳列台に並んでいます。
なぜか日本人の最も好む色は赤だそうです、そういえばパッケージは圧倒的に赤が多いですね。
赤くなければ売れないという神話まであるそうです。
ちなみにヨーロッパ、特にイギリスはブルーと黄色らしいです、見てきたわけじゃありませんがイギリスのスーパーはブルー一色?、国民性の違いでしょうか。
究極のポップはやはり通販でしょう、テレビショッピングに登場するジャパネット○○○さん。
店頭でというより家庭に入り込んできます、あれは手ごわいです、我が家にも通販グッズがちらほら。
もともとポップは昔からあって、八百屋さんや魚屋さんの店先で見かけた値札、薄く裂いた木片に赤字で値段を書き入れて、魚や野菜の横に立て掛けてあったもの、特に魚屋さんのそれは水に濡れて赤文字がにじんでいたものでした、それがポップの原点だと言う人もいます。
ポップが一定の形になったのは、スーパーマーケットのような量販店が出来て、絵心のある店員さんが、太書きのカラーマーカーを使って、商品のPRを書き店内のあちらこちらに貼付け始めたこと、これが定着したのかなと思っています。
今やポップと言えば色付きの紙にでかでかと太字で値段やコピーを書き入れて、店内処狭しと貼付けるのが主流になっています、特に家電量販店が顕著で、大阪なら日本橋、東京なら秋葉原の電器街がその典型でしょう、目立つことが第一で我も我もと、いつの間にか黄色地に赤文字が定番になってしまいました。
もっともあれがなければ割安感が得られないと言う我々消費者の側にも原因があるのでしょうが、無秩序で雑然とした空間に慣れてしまったのかも知れません。
ポップにもいろいろあってその気にさせてくれるポップもあれば、見るのも嫌なくらいうるさくて汚い物もあります、もちろん美しくデザインされて心地よいものも少なくありません。
本来心を動かされるのはそのポップ自体が持つエネルギーじゃなくて、作り手、売り手である人や、お店の想い、もちろん商品そのものの魅力であるはずで、ポップはそのことを的確に表現した媒体だったんです。
こうしてみると我々の業とする看板も同じような危うさを感じるときがあります。
看板のデザインをするときに、力強く目立つようにと言われれば、まず思いつくのは太く大きく派手な色で、もっともっとエスカレートしていくとだんだん汚く下品になって嫌になってしまいます。
上品から貧弱へ、力強さから下品へ、高級感から冷たさへ、親しみやすさから安っぽさへ、色々な座標軸の上でせめぎあって自分としても心地よいもの、本来の意味をはき違えずに節度あるものを作りたいと、そう思っています。
特に趣味と言う程でもないのですが古い建築や仏像などを観るのが好きで、気が向けば京都や奈良に出かけることがあります。
数百年、千年も前の建築や仏像彫刻の造形美など匠の技を目の当たりにすると、あらためて日本の文化を誇りに思います。
当時の匠がどれくらい修行し、訓練して作品を造り上げたのか、経験や工夫を積み重ねて造ったに違いない、現代のように進んだ技術や豊富な情報を手に入れた私達にも太刀打ちできない技があります。
匠の技と言えば、寺院建築や仏像彫刻に限らず、昔から職人や名工と呼ばれる匠が時代を越えて活躍していたんでしょう、日常生活のあらゆる分野で活用された手作りの逸品が残っています。
私が職人や名工の技に興味を持ちはじめたのは、若い頃出会った仏師のお話を聞かせてもらったのがきっかけだったように思います。
友だちがたまたま知り合った山寺の和尚さんが、ユニークな人柄でおもしろい話を聞かせてもらえるらしく、一緒に遊びに行かないかと誘われたんです。
もちろん興味津々で山寺を訪れたところ、その和尚さんが脱サラをして荒れ寺を再建したことや、まわりの森を一人で整備して今や借景として楽しんでいることなど、楽しい話をいろいろ聞かせてもらいました。
奥さん手作りの、山菜や野草の料理も御馳走になり、フキが食べられるようになったのもこの時からです。
ちょうどその時居合わせた一見僧侶風の物静かな人が、仏師をなさっているとのことでした。
主に木彫で製作されているようで、たまたま持って来ておられたノミや彫刻刀などの道具類も見せてもらうことができました。
刃物はお気に入りの刃物師に作ってもらい、柄の部分は自分の手に合うようにひとつひとつ削って作ること、曲った木はそれを生かして彫刻すること、当時の我々若造にも丁寧に教えてくださいました。
話の中で、彫刻をしている時削りすぎたり失敗したことは無いんですかと尋ねたら、「仏様は最初からこの丸太の中にいらっしゃいます、我々の仕事はその仏様のまわりのゴミを取り除いているだけですから」と。
さらりと語る一言に、そんなバカな、現実離れした話はにわかに信じ難いしあり得ないと思いました。
同時にその淡々と語る口調の中に静かな気迫を感じ取って不思議な気持ちになった記憶もあります。
観念的だと嘲笑されそうですが、そういうことは確かにあるんだと私は思っています。
匠の技は優れた技能者がその一生をかけて磨きあげたものだとすると、個人の技の全てを後継者が受け継ぐことができない、匠の技はいつもゼロからスタートし燃え尽きてしまいます。
だからこそ時代や世代を越えてもいいものはいい、美しいものは美しいということになるんでしょう。
「技能」と似た言葉に「技術」があります、技術は知識や理論、ノウハウなどの情報を含めたもので、国や会社などの単位で持つことが出来ます、また技術は後の人に引き継ぐことも、進化させることもできます。
現代は技術が勝負、私達は常に技術力を試されているのかも知れません。
大量生産、大量消費の使い捨て時代になった今、匠の技は一部の伝統工芸などに見る事ができますが、全体的には数少なくなってしまいました。
看板屋もひと昔前までは、自らの腕一本、筆一本で生計をたてる技能職と言える職業だった様に思います。
それがIT時代の今、コンピュータの前で遅れまいとしがみついている自分がいます、もちろんこれも好きでやっていることですが、過去の匠たちに憧れと尊敬の念を忘れずに、厄介なコンピュータとも仲良くしながら、これからもこの仕事を続けていきたいと思っています。
世の中にカッティングマシンなるものが登場してから看板屋も様変わりしたものです。
造型社も時代の流れに添うようにコンピュータの世界に足をふみいれました。
その後のデジタル技術の急速な進歩でカッティングマシンも進化を続け、初期の頃のような特別なシステムは必要無くなり、今やパソコン1台でおおかたのことができるようになってしまいました。
おかげで旧型のカッティングマシンが次々と無用の長物となり、捨てるのも忍びないしお蔵入りとよぶのもかわいそう。苦楽を共にした戦友ですから。そこで「殿堂入り」と称してみんな残してあります。
中には日本語をコード(4桁数字)入力するものや、マニアなら誰でも欲しがるアップル社の初期のパソコン「Apple ll e」というのもあります。これは日本語OSなんかもちろん無く、5インチのフロッピーディスクで英語版のシステムを立ち上げるという代物でした。
フロッピーで立ち上げるといえば写研のマシンもそうなんです。なんとか現役?でふんばっていますが今や風前のともしび。人気書体のゴナやナールがモリサワの新ゴにとってかわられて影がうすくなっていますしね。
以前はロゴやマークの入力に、デジダイザーを使って座標1つ1つを拾いながらトレースをしていたんです。
きれいにトレースをする秘けつは、できるだけ正確で大きな原稿をつくることでした。
そのため拡大用にトレスコープというカメラを入れ暗室までつくり、拡大撮影/現像/拡大コピー/入力となんと手間をかけていたことか。ところがここ数年そのカメラも使うことがなくなり暗室にも誰も入らないという状態になっています。
たまたまパソコンの配置替えの話がもちあがった時、インクジェットのメディア(出力紙)の保管庫にあの暗室がちょうどいいという発想が生まれました。
暗室ならメディアの黄ばみや焼けが防げるということで、納得はしたものの、いよいよこれも殿堂入りかと少々の寂しさを感じてしまいました。