POPという言葉からどんなイメージを持ちますか、ポップな感じってどんな感じでしょう。
英語の辞書には”ポピュラー”の略語とありました、随分はば広い言葉でいろんな場面で耳にしますが、一般的には「くだけた感じ」、「親しみやすい感じ」、高級感とは対極の意味での「安っぽい感じ」というところでしょうか。
そういえば店頭のポップもくだけた感じの書体で、親しみやすいイラストなどを入れて安っぽい?色使いでまわりをにぎわしています。
そもそも広告の意味から”ポップ”といえば、「購買時点広告」と定義付けられている様です。
購買時点広告ですから、店頭で商品のすぐそばにあって消費者の購買意欲をそそり、最後の決断を促すという大切な使命を担っているわけです。
街角のパンやさんのウインドに「私達手作りの新作メロンパンが出来上がりました、美味しいですよ!ぜひ一度御賞味ください。」かわいい文字のコピーと、素人っぽい感じのメロンパンのイラスト入りのポップが貼ってあったとしたら、思わず食べたくなるのはメロンパン好きの私だけでしょうか。
もう一つ何と言ってもそそられるのが居酒屋のメニュー板、行き付けの店の冷蔵庫に掛けてあるホワイトボードに料理名がずらり。
どれもこれも油が付着して黄ばんでというより、茶ばんで読みにくい中一番下の右から3行だけいつも真っ白で、大将おすすめの日替りメニューが書いてある、「イワシの刺身」やっぱり注文してしまいます、その日イワシの刺身が食べたかったわけでもないのに、これってハメられた?。
大将が意識してそうしているのか否かはわかりませんが、確かにホワイトボードが”ポップ”の役割を果たしているのです、私はポップにやられていたんです。
次はまさに購買時点、手に取るか取らないかの勝負を分けるのがパッケージ、スーパーやコンビニで競い合い陳列台に並んでいます。
なぜか日本人の最も好む色は赤だそうです、そういえばパッケージは圧倒的に赤が多いですね。
赤くなければ売れないという神話まであるそうです。
ちなみにヨーロッパ、特にイギリスはブルーと黄色らしいです、見てきたわけじゃありませんがイギリスのスーパーはブルー一色?、国民性の違いでしょうか。
究極のポップはやはり通販でしょう、テレビショッピングに登場するジャパネット○○○さん。
店頭でというより家庭に入り込んできます、あれは手ごわいです、我が家にも通販グッズがちらほら。
もともとポップは昔からあって、八百屋さんや魚屋さんの店先で見かけた値札、薄く裂いた木片に赤字で値段を書き入れて、魚や野菜の横に立て掛けてあったもの、特に魚屋さんのそれは水に濡れて赤文字がにじんでいたものでした、それがポップの原点だと言う人もいます。
ポップが一定の形になったのは、スーパーマーケットのような量販店が出来て、絵心のある店員さんが、太書きのカラーマーカーを使って、商品のPRを書き店内のあちらこちらに貼付け始めたこと、これが定着したのかなと思っています。
今やポップと言えば色付きの紙にでかでかと太字で値段やコピーを書き入れて、店内処狭しと貼付けるのが主流になっています、特に家電量販店が顕著で、大阪なら日本橋、東京なら秋葉原の電器街がその典型でしょう、目立つことが第一で我も我もと、いつの間にか黄色地に赤文字が定番になってしまいました。
もっともあれがなければ割安感が得られないと言う我々消費者の側にも原因があるのでしょうが、無秩序で雑然とした空間に慣れてしまったのかも知れません。
ポップにもいろいろあってその気にさせてくれるポップもあれば、見るのも嫌なくらいうるさくて汚い物もあります、もちろん美しくデザインされて心地よいものも少なくありません。
本来心を動かされるのはそのポップ自体が持つエネルギーじゃなくて、作り手、売り手である人や、お店の想い、もちろん商品そのものの魅力であるはずで、ポップはそのことを的確に表現した媒体だったんです。
こうしてみると我々の業とする看板も同じような危うさを感じるときがあります。
看板のデザインをするときに、力強く目立つようにと言われれば、まず思いつくのは太く大きく派手な色で、もっともっとエスカレートしていくとだんだん汚く下品になって嫌になってしまいます。
上品から貧弱へ、力強さから下品へ、高級感から冷たさへ、親しみやすさから安っぽさへ、色々な座標軸の上でせめぎあって自分としても心地よいもの、本来の意味をはき違えずに節度あるものを作りたいと、そう思っています。